休暇中に増加した体重を減らすため、天気がいい日は徒歩で帰宅することが増えました。
整備された川沿いを歩き、いくつもの橋を渡って帰ると、大阪は親水の意識が高い町であることを感じます。
現在の大阪市の河川数は約30ぐらい距離は140キロに及ぶとのこと。もし、大阪にこれほどの河がなければ運輸の発展もなく、橋も無ければ人々の往来も制限され、町の発展もなかったはず。
かつて江戸時代の大阪は、八百八橋と呼ばれていました。しかしながら、当時の橋の数は、江戸の約350橋に対して、大阪は150橋しかなく、大きく差を付けられていたようです。
大阪が橋の町と呼ばれたのはなぜでしょうか?
海と川に囲まれた天然の要塞である大阪に目を付けた太閤秀吉は、豊富な水を活かして城下町を整備し、治水対策に力を入れました。水資源には恵まれていた反面、常に水害を受けやすい地形であったのです。
秀吉は堀の土で町を作り、集まった町人は生活や商売のために多くの橋を架けました。江戸の橋は150以上が、「公儀橋」と呼ばれる幕府が建て、直轄管理した橋でしたが、大阪は営業所の近くの「天神橋」、環状線にある「京橋」、道頓堀に架かる「日本橋」などわずか12橋で、その他の橋は幕府の援助なく、町民が自腹を切って架け、町民が管理する「町橋」でした。
町人が心意気を示したことで自然と大阪は橋の町と呼ばれるようになりました。
徐々に人々の往来が活発になっていますが、まだ遠方への移動は二の足を踏む方も多いはず。
たまにはゆっくり近所を散策して身近な歴史に目を向け、先人の努力や知恵から学ぶことも大事なのではないでしょうか。